幕開け。

子供のころは童話が好きだった。小学生のときはショートショートが好きだった。中学高校くらいのときは漢文を読むのが好きだった。好きだったつっても別にそんな小難しいものを読んでいたんじゃあなくて、ほら受験問題とかで出るでしょ、センター試験の問題とか。ああいった文章が結構好きだったように、思う。

記憶が曖昧なのは高校の頃のことなんて本当は覚えていないからだ。あの頃はとにかく面白かったよな。席の右後ろははしれーで、その後ろはとくだ。前の前はミツヤだった。まさにゴールデンエイジ。
俺自身が何をしていたのか、なんてとんと覚えていないのだが、はし日記を読んでいて思い出した。3月3日のところを読んでください。「マキオ」が僕のこと。確かにそんなだった気がした。あの貴重な、多感な時期を過ごすべき学び舎で僕らは一体何していたんだろう?
多分何もしていない。
とにかく勉強なんてしなかった。鉄緑会をサボって隣のゲーセンでスパイクやってた(M3潰れたね!)。そのころ少しでも勉強していれば、、、なんて今更のように思うけど、というのは嘘で、正直そのときには何をしても無駄だったのだ。あと、はしれー、あの?の席は段ボール箱が置いてあって皆が雑誌とかTシャツとかをポンポン入れていたんだよ。

話が逸れた。漢文の話だ。僕は童話・寓話の類が好きなんだと思う。そこには登場人物がいて、大抵は変な奴がいる。そしてそいつは奇妙なことをやらかして、周囲とずれて、そんで成功なり失敗なりをして、教訓が語られる。
この変な奴がやる変なことや、教訓=寓意がとても面白い。童話や寓話は古い話や外国の話あるいはその両方なので、「どうしてまたそんなことをするんだ」なんていう気持ちがふつふつと湧いてくる、ってのがある。
「杞憂」に表される、「天がいつか落ちてくるのではないか」と考えた杞の国の男は頭が弱いとかそういうんではなくて、それ自体が物の怪じみているし、「こぶとり爺さん」の瘤を斧で切り取っちゃって、隣の爺さんにくっつけちゃう、なんて発想は自由闊達で素晴らしい。
臥薪嘗胆」だっていくら悔しくても薪に寝ることはないし、熊の肝を嘗めることはない。そして、僕は思うんだけど、この嘗めた人も嘗めているうちに「あれ、熊の肝おいしいんちゃうん?」とか一瞬思ったこともあるのではないだろうか。あと、この話の面白いところは薪に寝てた人は最後熊の肝を嘗めていた人に負けちゃうところだ。この二人が争っていた、ってことは意外と知られていない。あと、忠臣伍子胥の「私の目玉をえぐり出して門に掲げてくれ。越の軍が呉の国を滅ぼすのを見届けたい。」とかいうセリフもあまりに異常で面白い。
話が長くなりそうなので最後、「漱石」。「流れに漱ぎ(くちすすぎ)、石に枕す」を「石に漱ぎ、流れに枕す」って言い間違えた人がいてそれを訂正しなかったので「漱石」は「頑固者」という意味なのですが、それを自分のペンネームにする夏目漱石は相当にどうなのだろう。

さて、本ホームページの由来である。有名な「矛盾」からのセリフですが、これも相当にどうなのだろう。僕はこのセリフの印象を2パターン持っている。

中年くらいの、世事に富んだ男が、「じゃあ、その矛で盾を突いたらどうなるんだい?(ニヤニヤ)」って言うのが多分大半の方が持っているイメージだろう。
だが、である。いくら古代中国とはいえ、そこは市場。品物を売る口上だってあった筈だ。「それを言ったらおしまいだろ。。。」という位の感覚があるに違いない。
そこで僕が思うのは、まだ言葉を覚えてての子供、今で言う「権利」とか「義務」とか使いたがるような感じで、「じゃあ、その矛で盾を突いてみなよ!」と得意満面に言ったんじゃあないだろうか。

いや、まあ言ってたとしてもどうにもならんのだけどね。

*  *  *  *  *  *

で、ようやく人様の日記機能を使うことにした。その方が管理が楽だし、更新も楽、いいこと尽くめなのである。
もうhtml形式とかタブとかに頭を悩ませることもない、そんな25歳のホームページです。いやはや、20歳くらいからホームページを始めて、「我孫子マッド公式ホームページ」、「偽灰」、「風速」、「ダバダバ杉に降る雪」、「ゴールデンスタンダード」、「ナーヴァナ!!」、このホームページで七個目か。ちんたらやっていくんで長い目で見てやってください。